共に育みあう共育社会へ

学童保育での実践、地方でのキャリア教育、多世代間の学びなど『人の学び』に関わることの記録

もっとチャレンジする学校、先生と子どもが共に学び進化する学校が増えるように。。。

「多くの人にとって良い会社でも、目の前の人にとって良い会社とは限らない、だからこそ、この人がこの会社で輝けそうか」

と思って人と会うのが、大企業にいた時から、採用面接の一番コアになっている判断基準。

これを見誤ると、会社に合わず鬱になる可能性がある子を採用する可能性もある。

でも、これって子どもも同じこと。

合わない学校に行くことは、不登校になる可能性があるということ。


学校も会社も「この子がこの学校・会社で輝けそうか」と判断できればいいのだけど、通学し始めるまで見えないものもあるし、日本は小学校は98%以上、中学校は92%以上の子どもが国公立へ通う。(それだけ選択肢は少ない)


幼稚園は80%以上が私立だから比較的「この子がここで輝けそうか」と選ぶ親が多いのではないかなと思うのだけれど、小中学校の9年間は選択肢がないし、結果的に小・中学校で日本人の基礎が作られていると言っても間違い無いと思う。

 
今、色々な地域の小中学校に行くと素敵なことも沢山ある。地域全体で見守っていたり、給食や掃除をやっていたり。でも、これって私の子どもの頃からあったこと。

 
今の日本人の若者の自己肯定感、国際比較でも明らかに低い。チャレンジしようともしない。この基礎はどう考えても学校教育で作られているのは間違いない。

www8.cao.go.jp

 
学校では、ちょっとマネジメントしにくいことがあると「大人になってからね」とか「禁止です」とルールで縛る。

イジメがあっても、なかったことにする。イジメがあっても関わった人を怒ったり、誰がやったの?とその時の登場人物確認はするが、そのイジメはなぜきっかけなのか、なぜ継続してしまうのか?等の本質的解決にまで時間を割かない。

これはDVとか虐待もすべて同じ。

1つ1つの問題に対し、分かりやすい解き方無い。だからこそ対応してる人も毎度手探りだし、複雑な人間関係も絡み合う。正解がないし、突っ込み始めると終わらない気がしするし、正解がないから不安だし、失敗したら怒られそうだし・・・と思うと人は放置する。

失敗を許さない(想定外のチャレンジ許容できない)今の社会そのものでもある。


こういう環境で育った子ども達は「対立を解消することは難しいこと」「答えがない問題は難しいこと」「トラブルは隠したほうが良さそうなこと」を学んでいき、大人は再発しないよう再発防止案という名のルールをまた作る。結果として、ますますルールは増える。

 

増えた学校ルールや暗黙ルールに合わせないと怒られる、機嫌が悪くなる。
みんながルールに合わせることが当たり前!の雰囲気なので、合わなければ友だちも指摘してくるからルールに違和感を持つ子は居心地悪くなっていく。

 

結果的に自分のことは表現しない。
自分の気持ちを見ないようにする。
出る杭になるかもしれないチャレンジもしない。

 
平成が終わろうとしている今、こんな生き方を教える必要があるのか? 

この動画にあるものは未来の世界でもアニメでもなく、現実の世界。
ルールへの適合、言われた通りに動くことはAIの大得意分野。

youtu.be

子どもは何を学ぶ必要があるのか?大人もこのままでいいのか?を考える必要がある。

  • それはなぜ必要なのか
  • これを使うことによってなにが起きるのか
  • 私たちは何ができるのか

を考えず、チャレンジ失敗した時の這い上がり方、チャレンジしている人への応援や自分の強みの生かし方を知らないのに、突然年齢が上がってから

  • あなたはどう考えますか?
  • あなたの強みはなんですか?どう生かして行きたいですか?
  • リスクはどう考え、どう行動したのですか?
  • どう周りと協働してきましたか?

と聞かれても、主体性を持って生きていないので難しい。

筋トレと同じで、思考の習慣にないのだから。

 

先生たちは「分かってる。でも、自分たちはシステムの一部だ、変えられない」という。

確かにシステムの一部だから変化を起こすのが怖いだろうし、だから外部人材が手伝うよーって話になっているのだけど、どんどん変わる学校と変わらない学校の差が開いて行くこの数年。

 

でも、こうやって学校の独自性が出て行き、結果的に国公立でも個性がある学校が生まれて行くのかも?と思ったりもする。

 
我が子はすでに義務教育半分おわってしまったのだけど、もっとチャレンジする学校、先生と子どもが共に学び進化する学校がもっと増えるように活動して行きたい。